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マッスルは、DDTプロレスリングの別ブランドとして行われる全く新しいスタイルのプロレス興行。 == 歴史 == 2004年10月13日、北沢タウンホールにおける「マッスル」で「ファイティングオーディション」として旗揚げ。当初は同年1月に旗揚げされた「ハッスル」のパロディ(ロゴもハッスルがモチーフだった)としてローカル団体、インディー団体の所属ながら光を放つ存在を発掘するというコンセプトで開始されたが、2005年1月4日の「マッスル2・ファイティング入学式」、2005年3月6日の「マッスル3・ファイティング道場破り」で通常のプロレス興行とは一味も二味も違う独特のテイストを確立する。特にマッスル2から参加したアントーニオ本多はマッスルがプロレス界に送り出した最大の鬼才と言える。 2005年5月5日北沢タウンホールの「マッスル4」においてはツルティモ・ドラゴン(鶴見五郎)の甥で、「アメリカで高名な演出家」と称した鶴見亜門(劇団「双数姉妹」に所属する俳優「今林久弥」が扮している)を演出に迎え、プロレスにおける「演出」とは何かについて問題を提起する。さらに2005年8月14日北沢タウンホールの「マッスル5( - 8)」ではツルティモ・ドラゴンの娘婿のサイモン鶴見(こちらも今林が扮している)がプロレス興行の長時間化に疑問を投げかけ、総当りリーグ戦4大会を1日で終わらせるという快挙(?)を達成。またプロレスの試合にリング上での討論(「しゃべり場」形式)を導入という斬新な試みも見せた。2005年10月2日には「マッスルハウス」として後楽園ホールに初進出、満員の観衆を集める。酒井一圭HG戦で生まれた趙雲子龍の「泣いて馬謖を斬る」という技はその後何度もクライマックスに使われた。 2006年に入っても、1月17日北沢タウンホールでの「マッスル9」でマッスル史上最高と呼ばれる興行を実現する一方で、3月5日の新宿FACE「マッスル10」ではマッスル史上最いまいちと呼ばれる興行を提供する。2006年5月4日、2度目の後楽園ホール大会「マッスルハウス2」では超満員の観衆を集め、プロレス興行に「どっきり」「仮装大賞」のエッセンスを加えるという、常人には予想も付かない発想で賞賛を浴びた。この大会には大鷲透、ディック東郷も参戦、「えーるえる、ぴーだぶりゅ!」の流行語を生み出した。9月29日、30日の「マッスル11」ではプロレス興行初の「追加公演」として、北沢タウンホールと新木場1stRINGで2日間開催した。 2007年は1月3日に後楽園ホールで「マッスルハウス3」、5月4日と5日に東京と初の地方公演となった名古屋にて「マッスルハウス4」、9月5日から7日に北沢タウンホールにて3日間すべて異なる内容の「マッスル15」が開催された。 2008年1月3日、後楽園ホールにて「マッスルハウス5」をFIGHTING TV サムライの生中継で開催。5月6日の後楽園ホールで開催された「マッスルハウス6」はマッスル史上最大の出場選手数となった。 2008年10月6日、新木場1stRINGにて「マッスル坂井自主興行」が行われた。従来のマッスルシリーズとは異なり、スクリーンにマッスルのロゴはなく、また締めのマッスルポーズは行われなかったが、興行内容や出演陣から、マッスルシリーズの番外編といえる。 2009年1月3日、「マッスルハウス7」のリング上で、毎月29日(ニクの日)にマッスルに関連する何らかの企画を行うと発表する。 2009年5月4日の興行を最後に実質的に活動を休止していたが、2010年2月6日に666との合同ディナーショーで活動再開。5月4日に一年ぶりの興行となる「マッスルハウス9」にて「リングオブコント」を開催した。 2010年10月6日にマッスル坂井が家庭の事情によりプロレスラーを引退することとなり、自身最後の興行となる「マッスルハウス10 負けるから即引退させてくれSP」が後楽園ホールにて開催。この興行はインディでは異例となるスカチャンPPV生中継が実施された。 この「マッスルハウス10」をもってマッスルはいったん幕を閉じるが、この大会中、マッスル坂井により、ちょうど20年後の2030年10月6日、同じく後楽園ホールで「マッスルハウス11」を開催することが宣言された。同日に入籍を発表し、また子供が生まれる予定があるという坂井が、20年後に子供をプロレスラーに育て上げ、出場させるという構想である。マッスルハウス10の来場者には、このマッスルハウス11の招待券が無料で配布された。チケットに記された席種や料金は後楽園ホールに則ったものとなっているが、会場名は無記載となっている。 マッスル戦士たちによると、裏の計画では次回のマッスルは日本武道館大会を予定していて、マッスルハウス10に来場した観客全員が2人ずつ子供を産んで連れてくれば武道館が超満員になるという算段らしい。 2012年8月に開かれたDDT日本武道館大会「武道館ピーターパン」において、マッスル提供ダークマッチ「マッスルハウス10.5」として一日限りの復活を果たした。 2015年に開催された「DDTドラマティック総選挙2015」での公約発表にて、スーパーササダンゴマシンが自身の所属するユニット「#大家帝国」がユニット総選挙で1位になったら「マッスル」を開催すると発言。同総選挙にて2位に1000票近い得票差をつけて第1位に。 2015年11月17日、♯大家帝国主催興行「マッスルメイツの2015」開催。また、この大会にてマッスル坂井に勝利した竹下幸之介に2030年10月6日開催予定の「マッスルハウス11」への出場権利証キャリーケースが授与、そこには「TOKYO DOME」と記されており、マッスルハウス11は東京ドーム大会を予定している事が明かされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マッスル (プロレス)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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